妻が倒れた時の細かい状況は、今も思い出したくありません。その日、私は担当する夜のニュース番組のため、夕方まで自宅で原稿の準備をしていました。自分の体調がよくなくて、出社の時間を遅らせていました。
すると、階下で私の食事をつくってくれていた妻が、2階に来て、私の後ろにくると「わらひあたまがいらいから……」と言ってベッドに倒れ込んだのです。これはおかしいと、すぐ救急車を呼びました。
長い時 間待ったと感じた救急車に乗ると、今度は発車しない。病院に次々電話しても、「余裕がない」「人手がない」と受け入れを断られました。その間も妻は苦しんでうめいているのです。ようやく病院が見つかり動き出したら、道路が渋滞――。私は何もしようがなく、「助けて下さい!」と祈るしかありませんでした。
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駐在特派員だった松本さんは、その経験を買われて03年からフジテレビの夜の報道番組「ニュースJAPAN」のキャスターを務めていた。夕方に出社。放送後、時差のある米国の情報収集をし、朝3時ごろ帰宅。昼夜逆転の生活で、長男12とはすれ違いの日々だった。
たいへんだけどやりがいがある仕事で、私は「いつか僕は倒れるから、その時はよろしく」と妻に言ってました。今思うと、私に合わせて起きたり食事を用意したりする生活は、妻によくなかったのかもしれない。あの年は、妻の父が亡くなったり、夏にはかわいがっていた愛犬も死んでしまった。妻に様々なストレスがあったのだと思います。
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受け入れてくれた病院には脳外科医が何人もいて、すぐCT(コンピュータ断層撮影法)で見てもらうと脳の中は真っ白。最重度のクモ膜下でした。「命が危ない」「助かっても植物状態になる可能性が高い」と言われました。
会社に電話して「今日は出られない」と謝ると、もう仕事のことは頭から吹き飛びました。親族も駆けつけ、目の前のことでいっぱいでした。
手術の後も、どうなるかわからない状態が続いた。妻の意識が少しずつ戻り、左半身がマヒ状態になったと私が気付くようになったのは、数週間たってからです。私も勉強して、クモ膜下出血には2つ関門が控えていることを知りました。脳に血が入った後、血� ��が縮んで亡くなる危険があること。もう一つが、脳に水がたまる水頭症になる危険です。
そうした危険も抱えながら、手術した動脈瘤が再び破裂する可能性があるとわかり再手術をしました。次から次へローラーコースターで乱高下するような日々でした。
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入院から1ヶ月後、リハビリの専門病院へ移った。毎日病院へ通い、リハビリの介助方法も学んだ松本さんだが、2ヶ月半の休業後、妻にも背中を押されて職場に復帰した。
仕事を再開しても、介助や洗濯物の世話などで毎日病院に通いました。私たちの年齢で介護を抱えると、きょうだいは子育てや仕事で忙しいし、高齢の親にも全面的には頼れない。子どもと自分だけで頑張るしかないという、核家族の現実も知りました。
妻は重い高次脳機能障害が残り、視野の左半分が認識できなくなりました。食事も視野から外れたものは残すし、同じ話を何度も繰り返す。仕事を通して出会った頃、「頭のいい人だな」と印象に残ったしっかり� ��の妻なので、悔しいだろうとかわいそうです。
それでも妻はリハビリを頑張り、足に装着具があれば立てるようになりました。ただ、自宅でも誰かが24時間ついていないと危ないため、私はまた一時休業し、その後も戻ったり休んだりの生活です。
介護をしながら番組に復帰した時は、掛け持ちのたいへんさはありましたが、夜の仕事のいい点は、日中に付き添うことができること。ただ、夕方から交代で付き添った息子は、小学生だったのに塾も遊びも我慢せざるをえなかったのがかわいそうでした。
松本さんは、妻が倒れて数日後から、病状や会話などを取材ノートに書き留めていた。その闘病記が30冊を超えた。ノートから著書『突然、妻が倒れたら』(新潮社)をまとめて出版した。
知らない世界に入っていく怖さと闘うなか、記録することは支えになりました。毎日、ページの冒頭に【優秀な施設と家族で妻を治す!】と書きました。理学療法士さんから学んだリハビリの仕方も、イラスト付きで書き留めました。
それが、自宅でのリハビリ生活が落ち着いた頃、今度は妻の卵巣に悪性曩腫が見つかりました。妻は家庭内の司令塔として一切を仕切ってくれていたので、私は妻の突然の病気を「家庭内テロ」と呼んでいました。そこに二つ目のテロが起きたのです。抵抗力が� �ちているなか、もう一つの治療が始まりました。妻は息子のためにとがんばっています。
今も油断はできない。だから、先のことは考えずに、一日一日を家族3人で大切に過ごすようにしています。妻が治るのを信じ、「普通の家族の暮らし」を取り戻すため全力を尽くそうと思っています。――
◆取材を終えて◆
深夜の報道番組で聞き慣れた冷静な語り口のまま、介護の日々を語ってくれてた松本さんだが、家族で乗り越えてきた状況の厳しさは胸に迫った。働き盛りの世代が介護を抱えた時、小さくもろくなった核家族の弱点や、介護保険制度の不備などが浮き彫りになるのだと感じた。「少子高齢化で1人の子が2人の老親を支える時代になるというが、うちの子はその先端を走っている」。その言葉が、未来予告のように響いた。(生活情報部・榊原智子)
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