日本ではクリスマスが一般的ですが、世界中には色々な祝日が同じ時期にあります。先日イタリアのクリスマスを紹介しましたが、今日はユダヤ人のハヌカを紹介します。日本でも、ハヌカを知っている人は増えてきていると思いますが、知らない人の為に。。。
ハヌカはユダヤ教の暦で毎年違う日にちで行われますが、
今年2005年は12月25日の日没から8日間だそうです。
昔、シリアと戦って宗教の自由を手に入れた際、これを祝って自分達の神様を祭る新しい祭壇造ったのですが、1日分しかなかったはずの油で8日間、ランプの灯がともし続けられたという奇跡を祝うものです。そこから「灯火の祭日」とも呼ばれています。
家庭ではメノラ(Menorah)と呼ばれる8本のろうそくが立てられる燭台に、
毎日1本ずつ増やして灯をともします。そして基本的には家族で、伝統的な料理を食べ、ゲーム(ドレイドルというコマみたいなのを使います)をし、客をもてなし、プレゼントの交換もします。プレゼントは8日間毎日もらえるそうですよ。
このRockie Read-About Holidaysのシリーズは世界のお祭り(ハロウィン、サンクスギビングからラマダン、St.Patrick、Diwali,Passoverなどなど)が子供に分かりやすいように読みやすい英語で全部写真で紹介してあります。(私も職業柄殆どシリーズを持っています)特に、モンテッソーリの学校では、絵ではなく写真は全部本物を使うことになっているので(絵本などは例外ですが)この本はとてもお勧めですよ~。
日本ではまだまだクリスマスが主流で、挨拶も"メリークリスマス!"なんて言っていますが、アメリカなどでは色んな宗教の人がそれぞれの祝日を祝っているので、一般的な挨拶は、"Happy Holidays!"となりますね。
同じく12月26日から7日間(日にちは毎年固定)で行われるアフリカ系アメリカ人のKwanzaa(クワンザ)もありますが、次回ご紹介します!
Chanukah (Rookie Read-About Holidays) ISBN:0516271520 David F. Marx David F. Marx Childrens Pr 2000/09 ¥739
2005-12-15 00:00:00| モンテッソーリ |コメント(2)|トラックバック(0)
今日は、プライベートのレッスンの日だったので、イタリアのクリスマスを紹介しました。イタリアのクリスマスは12月の25日の何日か前から子供達が近所の家をクリスマスキャロルを歌いに回ることから始まって1月6日のL a Befana(べファーナ)というお祭りで終わるそうです。べファーナとはちょっとUgryな老婆だそうですが、5日の夜に子供達が自分の靴下を家の中にかけておくと、みんなが寝た後、べファーナが煙突から入ってきて、いい子供の所にプレゼントを、悪い子のところには靴下に石炭を入れていくそうです。そして、べファーナの絵を見せてクラフトを作りました。見た目はちょっと魔女みたいな感じでした。そのあと、イタリアのクリスマスということでピザを作りました。マフィン、ピザソース、ソーセージ、スライスチーズを買ってきて、ナイフでスライスチーズとソーセージを自分達で切って、トースターで焼きました。とても美味しかったです。
来週はハヌカ、再来週はカワンザのアクティビティーを紹介しようと思います。オー� ��トラリアから真夏のクリスマスの絵本を取り寄せ中ですが、品切れで3週間待ちだそうです。クリスマスシーズン中に届くと良いのですが・・・
2005-12-12 00:00:00| 子供のレッスン |コメント(6)|トラックバック(0)
今日はモンテッソーリのマテリアルピンクタワーについて・・・
ピンクタワーと言ってもピンとこないと思いますが、モンテッソーリの教室にはカラフルなとてもシンプルなマテリアルが沢山あります。プラクティカルアクティビティー(日常生活練習)については、以前紹介しましたが、このピンクタワーは、Sensorial Developmentのアクティビティーです。(感覚の発育の練習?)
まずピンクのCube(立方形)が小さいのから大きいのまで10個あります。(一番小さいのは1cubic cm。一番大きいのは1000 cubic cm)一番大きな立方形を一番下に置く。その上に次に大きいものを置く・・・・そして10個の立方形のタワーになるのです。これだけ聞くとただの積み木?って思うかもしれないのですが、(確かにそうなのですが)この単純なアクティビティーの中にも意味がたくさんあるのです。
まず、何が学べるかと言ったら、大きいものと小さいものの区別、適切な持ち方によって同じ素材の大と小での重さの感覚、長さ、高さ、幅の区別。それからボキャブラリーは Large-Small, Larger-Smaller, Largest-Smallestが学べます。
それから、このピンクのCubeたちを部屋の色々なところに置いて、子供達に一つ一つ持ってこさせて大きい順にタワーを作って行ったりします。一番大きいのだけ先に置いておいて、次に大きいものをビジュアルだけで探してきます。違うものだったら、またそれを元の場所に戻して他のキューブを持ってきたりするので、結構身体を使います・・・(結構疲れると思う)それから子供達に自分で間違えに気が付かせる方法があります。まずピンクタワーを作ってから1つの角を合わせます。一番小さなキューブがちょうどぴったりとその大きさの差の部分に当てはまるので、これでこのキューブがぴったり当てはまったら合っている。当てはまらなければ違うということです。あーちょっと日本語に訳すのが結構大変かも・・
要は「The smallest cube fits perfectly on each ledge when the Tower is built with two adfacent sides lined up」
ということです。
これらのアクティビティーは1人でやるものですが、今日はサークルタイムでまたプレゼンテーションをして見せました。とても、子供達はこんなシンプルなアクティビティーでもとても盛り上がっていました。
2005-12-09 00:00:00| モンテッソーリ |コメント(0)|トラックバック(0)
どのように司教会議は2012年、同性に投票しました
留学中、Statistics(統計学)のファイナルのとき、何種類かあるファイナルのテスト問題用紙で、私が当たってしまったのが一番嫌いだった確率の問題だった時・・・
私が並ぶレジはいつも遅い。必ずと言ってよいほど、数あるレジの列で私のラ� �ンが一番遅くて、明らかに後から並んでいる人の列がスムースに進んで悔しい思いをしてる・・・空港の税関でもいつもそうです。私のラインだけ時間が掛かる・・・
いつもカメラを持っているのに、撮りたいものがあるときに限ってカメラを持ってきてない。いつもは持ってるのに・・・・
こういうことをマーフィーの法則と言うのですね。マーフィーの法則とは、
If anything can go wrong, it will. (失敗する可能性のあるものは、失敗する) だそうです。 普段の生活を思いかえすと結構ありますね。
日々の生活で偶然って結構多いですよね。 偶然は無い。全て必然だという人もいるのですが、毎週水曜日同じ時間に同じ電車である教室まで移動するのですが、先々週の出来事です。おばあさんが乗ってきたので席を譲りました。おばあさんはとても大げさに喜んで、(大げさと言うよりは、本当に感謝してくれたようです)何度も何度もお辞儀をして「本当にいいの?本当にありがとうね!」というのです。こちらが恥ずかしくなるくらい・・・そして、おばあさんが降りるところで、私の事を呼び「ありがとう!私はここで降りるからあなたもう一回座りなさいよ」と大きな声で言うのです。私もたまたまそこで降りるので、「私もここで降りますから・・・」と降り ました。
そして、先週の話です。なんの意識もせずにまた同じ電車に乗りました。そうしたらまた私の前におばあさんが立っていたので、席を譲ったのです。そうしたらそのおばあさんは何度もお辞儀をしてありがとうありがとう!と喜んでくれるのです。私はそのままドアの近くに立っていたのですが、私の降りるときになったらそのおばあさんが私を呼んで「ここに座りなさい!」と言ってきたのです。鈍感な私もやっとここで気がつきました。
あーー!この人この間のおばあさんだ~!
もちろんおばあさんは気がついていませんでしたが・・・
まあ、考え方によっては、同じ時間の大体同じ車両に乗るんだから、同じ人が乗っている可能性もあるとは思うのですが、とても面白い偶然だなと思いました。
そして、昨日。同じ水曜日だったので、同じ電車に乗りました。新しい靴を履いていて足が痛かったので、出来れば座りたい・・・と思って、いつもと同じ車両ではなく、もう少し空いていそうなはじの車両に乗りました。結構空いていたのですが、座っている私の前に今度はまた私の前におじいさんが立つのです。別にはじに座っているわけではないし、真ん中のイスに座っているので、何も私の前に立たなくても・・・足が痛いのに~。と思ったのですが、おじいさんに席を譲りました。おじいさんは「結構です」というのです。私も、「あ、そうですか」とは言えなか ったので、「すぐ降りますから」といったらおじいさんはありがとうも言わずに座りました。こんなことだったら、いつもの車両に乗って、あのおばあさんに席を譲りたかったなあと思ったりしました。
日本人は席を譲らないシーンをよく電車で見かけて、恥ずかしい思いをします。アメリカ人の先生も、自分は妊婦なのに誰も席を譲らない!って怒っていました。なので、私はまだあなたが妊娠している風に見えないから誰も気がついてないんじゃない?と言ったのですが、今度そんなことがあったら絶対に私は妊婦だから席を譲って欲しいと言ってやる~!!と言っていました。 アメリカではレディーファーストで、結構いい思いをしていた私は夏休みで日本に帰っていて、男の人が女の人を押しのけて、満員電車の席を取り合 いしている姿とかみると、本当に情けなく思っていました(ヘンなトコアメリカンナイズされました)で、それをその時妊婦だった妹に言ったら「あー、だって妊婦にだって誰も席代わってくれないよ」というので、卒業してもそんな日本になんか帰りたくない!!!と思っていたくらいです。
もちろん、みんながそうという訳ではありませんが。。 この間中学生くらいの男の子が前に立ってるおじいさんに席を譲ったのに、おじいさんは「いいよ」とそっけなく断ってました。あの男の子はせっかく勇気を出して声を掛けてあげたのに・・・とちょっと悲しくなりました。
そして、昨日私の前に立ったおじいさんも・・・
きっと、わしはまだまだ若いんだから!という気持ちでしょうか・・・。確かに歳をとっていても、髪を染めていたりすると、年齢がよく分からなくなるし、まだまだ年寄りじゃない人に席を譲るのも失礼ではないかな?と思ったり・・・・ 最近そんな気持ちも分かってきました。それにしても、私が疲れてて座っていたいときに限って、前にお年寄りが立って席を譲るというのも、マーフィーの法則に当てはまっていると思う。
2005-12-08 00:00:00| 日本を語る |コメント(2)|トラックバック(0)
誠実な平均値は何ですか?
ここも、教会系の幼稚園で、ここは2歳クラス、3歳クラス、4歳クラス、
5歳クラスに分かれていました。最初は、前の幼稚園で4,5歳クラスが働きやすくて、良かったので5歳のクラスを希望しましたが、私のメンターの先生がどうも、シンディーローパーみたいな先生で、ちょっと冷たい感じがしたので、園長先生にやはり、今度は担当したことない2歳のクラスをやってみたいと言って担当クラスを変更してもらいました。
ここでは、白人のアメリカ人、アフリカ系アメリカ人、メキシコ人、コスタリカ人、中国人、エジプト人の双子といった子供達でした。私のメンターはメキシコ人のマリリン。それからアシスタントのアメリカ人のリンダ(私をEmilyと呼んでた人)です。研修生は私のほかに、メキシコ人の女の子、パキスタン人の女の子、中国人の大学院生が2人来ていました。大きな幼稚園だったので、実習生も多かったです。そして、朝、昼とご飯が出るのがここの特徴でした。なので、朝8時から行くと、行ったらすぐに朝ごはんで、パンケーキやフルーツをみんなで食べます。そのあとは、プレイグラウンドで遊んで、(ここでは、気がついた人が滑り台や砂場をみたりして、特に決まりはありませんでした)その後は、2歳児クラスは部屋に戻� �て、サークルタイムをやって、本を読んだり好きなエリアで遊んでいました。特にみんなが好きだったのはドラマティックプレイエリアで、みんなハロウィンの衣装みたいなのを着て、おままごとをしていました。衣装もみんな寄付されたみたいな感じで、お医者さんの格好から、あらゆる衣装が揃っていて、スノーホワイトの衣装は毎日取り合いでした。
そのあとまた外の時間があって、そのあとはランチタイムです。キッチンにはエマというメキシコ人の人が働いていて、毎日みんなのご飯を作ってくれていました。メキシコ人だったので、どちらかというと、いつもメキシコの家庭料理っぽい感じのランチでした。
それから、ここの幼稚園では音楽の時間が全くなかったです。たまたま私がピアノが少し弾けることを話したら、マリリンが、「えーじゃあ、ホールにピアノがあるから子供達の好きな曲を弾いてくれる?」というのでした。 もちろんOKということで、でも、楽譜が無いと弾けないなあ・・と言ったら、楽譜ならあるわよ!というので、待っていたら、マリリンが棚から出してきたのはコードしか書いていないギターの譜面ぽいものでした。 あ・・・・ それ? と思ったけど、まあとりあえず簡単なものだったので、適当に弾いてみることにしました。少し練習したら弾けたので、楽譜がなくてもいいやと思って、子供達をホールに集めました。最初は、「これ何の曲だか分かる?」って弾いてみても、いつもはうるさい子供たちも� �シーーーーーーン。としていました。「え??」と思ってもう一度弾いてみると、「Ms.Emilyはピアノが弾けるすごい人!!!」という感じで私の事を見ている感じでした。その後は、ピアノを珍しそうにみて、楽しそうに歌っていました。そうすると、どこからともなくほかのクラスの先生たちも集って、園長先生まで集ってきちゃって、弾き終わったらすごい拍手でした。ピアノを弾いているのをみたことがないような感じでした。内容的にはミスタッチばっかりで散々でしたが、みんなには分からなかったみたいでした。そして、マリリンは私がこの学校を去るとき、私の弾いたピアノをテープに録音して今後の為に取っておきたいとまで言うのでした・・・。(ホントにその辺の小学生の方が上手いんじゃないかな?というレベルな� ��に)ピアノも、グランドピアノでしたが、知らないメーカーのもので、全然調律がされていない感じで音がめちゃめちゃ狂っていました。アメリカでは結構音痴な人が多い印象だったのですが、やはり子供の頃からの音楽教育の機会がないからなんだなあと実感したものです。音楽に関しては、最初の幼稚園では、週に1度だけ1時間音楽のスペシャリストが来てくれて歌を歌ったりしていました。二番目の幼稚園は、毎日帰りにミュージックタイムがあるのですが、音楽のバックグラウンドが全くない先生たちがアカペラで一緒に歌っていました。そして最後のこの幼稚園では全く音楽の時間はありませんでした。(少なくとも2歳児のクラスでは)
このセメスターは、最後のセメスターで、授業でも特に個人でのプレゼンはありま� �んでしたが、これが終わってカリフォルニアのライセンスを取得するための手続きについて、レジュメの書き方、それから、グループでワークショップを実施したりという本当に実践的なクラスでした。 そして、この3セメスターで勉強した全てのクラスについてのポートフォリオを作りました。これは、プロフェッショナルとして、幼稚園に面接しに行くときに持っていける自分のポートフォリオです。ほんとうにこれは日本に帰ってからインターナショナルスクールの面接に行くときに役に立ちました。
これを書きながら、色々な思い出がよみがえってきました。そして、アメリカの幼稚園の先生のライセンスは5年更新です。一度取ったらそれっきりというものではなく、5年経ったら、また必要な単位の新しい幼児教育の� �ラス等を取って更新するのです。私は日本に結構大変なのですが、日本の大学のオープンカレッジとかで日本語で取ったものを移行したり、色々勉強し続けなければいけません。大変だ~。
2005-12-05 00:00:00| アメリカの幼児教育 |コメント(15)|トラックバック(0)
最初に実習したのは、大学付属の幼稚園でしたが、次はもうちょっとアットホームなところで働きたかったので、自分の家から車で10分くらいの、ある高級住宅地にある教会付属の幼稚園に行きました。午後だったので、門は閉まっていたのですが、(防犯上、門が開くときに大きな音のブザーがなるようになっていました。)覗いてみたら、教室で明日の準備をしている見た目エイジアンの先生が笑顔で「Can I help you?」と言ってきました。早速、私は○○カレッジの生徒で、来セメスターの実習先を探していることを告げました。そうしたら、たまたま話したその人が実習生の指導者で、いつからでも来て良いよと言ってくれたので、そこで働かせてもらうことにしました。
教会の付属で、小さな教会用の礼拝堂とその横に3つクラスルームがあって、それぞれ2歳児クラス、3歳児クラス、4,5歳のクラスに分かれていました。たまたま前のセメスターでは3歳児クラスを担当したので、今回は4,5歳のクラスに入れてもらえることになって嬉しかったです。そこの幼稚園は高級住宅地で、土地柄生徒の殆どは80パーセント位はお金持ちの中国人でした。後は、20パーセント弱が白人、日本人が1人という感じでした。子供達はメルセデスベン ツ、BMWなどの高級車で送り迎えでした。先生は各クラスに2人ずつつきます。私がお手伝いさせてもらったクラスはフィリピン系アメリカ人のMs.アベリンダ、アシスタントのアメリカ人のMs.ローズが担当していました。私はこの2人と、とてもうまがあったのでお互い信頼して貴重な実習を送ることができました。
サンタは、イラクでどのように見えるか
私は日本では特に気が利くほうではないし、むしろ気が利かないほうだと思うのですが、普通に汚れたものがあったら洗ったり、やりかけの仕事があったら手伝って終わらせたり、メンターが何かしていたら手伝いましょうか?と、普通日本の社会を経験した人なら当たり前の事をしてたのです。そうすると、「Emily,あなたはなんでそんなに気が利くの?私が言わないのでどうして分かるの?」と感心するのです・・・。「いや・・・これは普通だと思うんだけど・・・」と心の中で思っていたのですが、ある日、もう1人の中国人の実習生の態度を見ていて分かりました。彼女は、スナックのあとのお皿を洗ってもらえる?とメンターに頼まれても、� �手が荒れるからイヤだ」と言っているのを聞いてしまいました。私は、よくそんなこと言えるなあ~。と驚いていたのです。きっと彼女は特別だったと思いますが、1人はそんな実習生だったので、2人のメンターは私にとてもよくしてくれました。今でもずっと連絡を取り合っているし、私が日本に帰って就職活動をしているときも、推薦書を書いてあげる!と張り切ってくれたり、本当に良いメンターにめぐり合ったと思います。
ここでは、Multiple Intelligenceの8つの知性ついて勉強しました。学校の課題で、1人生徒に焦点をあてて、その生徒の8つのIntelligenceについて(日本で言うとMI理論)のポートフォリオを作ると言うものでした。
それから次の課題は、レジオエミリア教育法のプロジェクトでした。詳しく書くと専門的になってしまうので、簡単に書くと、テーマを決めて、子供達がどんどん遊び方や学び方を考えていくものです。テーマが例えば、消防車だったら、みんなで消防車について調べたり、実際に消防署に見学に行ったり、クラフトも消防車をつくったり、子供の思いつくまま進んでいくのです。ここで、先生が何をしましょう!というのではなく、先生はあくまでも生徒の質問をひきだして、どんどん広げていくのです。
私のプロジェクトは 「POTATO」だったのですが、子供達がポテトを使って観察したり、マッシュポテトを作ったり、ポテトに絵を描いたり・・・あくまでも子供が自分達で作り出していくものです。私はそれを見て、レポートを書いて提出しなければいけませんでした。そしてそれぞれの課題は全てクラスの中でプレゼンテーションをしなければいけません。これが一番大変でした。
ここの幼稚園ではサンクスギビングもクリスマスも体験したのですが、サンクスギビングはみんな生徒が一人一人野菜を1つづつ持ってきて、みんなでホールでスープを作って食べて、子供達はサンクスギビングの歌を歌いました。私にとってここの幼稚園でのサンクスギビングが一番思い出になっています。一人暮らしの私にMs.ローズはターキーをジ� �プロップに入れて翌日持ってきてくれました。
それから、クリスマスは子供達、他の先生達とのクリスマスプレゼント交換がすごかったです。実習生の私にも、山ほどプレゼントがありました。自分の担当しているクラスだけでなく、他のクラスの子供からも沢山のプレゼントです。高級お菓子、化粧品その他色々大きな箱に入って、一日では持って帰れないくらいの、今まで数十年生きてきて、こんなにクリスマスプレゼントをもらったのは初めてでした。
ここの幼稚園は防犯、衛生、安全面でも特に徹底した幼稚園でした。それぞれ幼稚園によって決まりごとは違うと思うのですが、まず実習生は子供と2人っきりになる事は禁止されていました。それから、先生達の休憩時間もきちんと決められていて、誰が何時何分から何時何分までは滑り台の安全をチェックする係り、そ� �が終わったら砂場の係り、それから、子供が鼻水が出ていたりするときは、絶対に素手では鼻を拭かない。いつ何時もポケットに使い捨てグローブが入っていて、子供達の顔など触るときは必ず手袋をするのを義務付けられていました。もちろんオムツをチェンジするときもそうです。(実習生はオムツ替えはしません)おもちゃの消毒や、スナックの時なども衛生面が完全でした。他の2つの幼稚園、いくつかの日本のインターナショナル幼稚園で働きましたが、ここまで徹底していた幼稚園はそこだけでした。それから2歳児クラスにいたADHDの子供(こんな小さくてホントにADHDだったのでしょうか?)にも、1人障害児教育のプロフェッショナルが来て、彼につきっきりでした。(毎日ではなかったですが)こんな幼稚園だったら安心� �て子供を預けられるなあと感心しながら働いていました。
2005-12-04 00:00:00| アメリカの幼児教育 |コメント(2)|トラックバック(0)
アメリカでは同じ学校でそれぞれ自分のメジャーで勉強して、
図書館で一緒に勉強したり、スターバックスで勉強したり、とても大変な留学生活を一緒に共にした友達が今はみんな日本に帰国して、それぞれの分野で活躍しています。そしてその人たちが東京に集ってこうして今でも会って、アメリカの思い出話が出来るのはとても嬉しいことです。
友達の中の1人が1月には転勤で東京を離れるのが決まって、東京観光をしたいと言うことで、柴又に行くことになりました。
私も柴又は初めてだったのですが、柴又の駅で寅さんの銅像の前で記念撮影し、帝釈天参道で、名物の草だんごなどを食べ、それから帝釈天に行きました。
ボランティアのガイドのおじさんがとても丁寧に帝釈天のお話をして下さって、
すっかり観光気分を味わいました。それから、寅さん記念館に行って、寅さんと合成写真を撮ったり、映画のセットを見たり、私は寅さんの映画は見た事は
ないのですが、ちょっと見てみようかなあという気持ちになりました。
それから、浅草に寄って、ライトアップされた雷門から仲見世通りを通って、
大好きなあげまんじゅうを食べたり、すっかり食べ歩きでおなかいっぱいに
なったのにも関わらず、そのあとちゃんこ鍋を食べに行きました。
日本に生まれて、同じ時期に同じアメリカを留学地に選んで、しかも同じ
大学で勉強したというのだけでも、すごい縁だと思います。それが、また
みんな日本に帰って、しかも日本の中の同じエリアに住んでいて、そして
そこで働いていて、日本でもこうして会って話していると、あのアメリカに
留学していたときの気持ちがよみがえってきました。
そして、今日はみんなで日本の良い場所の行ったり、美味しいものを
食べたりで、日本の良さを再確認した一日でした。
2005-12-03 00:00:00| 友達 |コメント(5)|トラックバック(0)
Field Practiceと言われる、教育実習が3セメスターで、
それぞれ200時間することになっていました。(計600時間です!)
なので約1年半の間、週3回朝8時から1時までの5時間の教育実習がありました。3セメスターでそれぞれ違う学校に行くので、3つの現地のPreschoolに自分で電話をしてどこで働きたいかを自分で決めます。
最初のセメスターで働いたのは、大学の付属幼稚園でした。ここの幼稚園は
殆どがその大学で幼児教育をしている人 又は卒業生が先生です。多分、
月謝も安くて、大学に通っているお母さんが子供を預ける感じでした。
私達は、この実習のクラスを取る前に、子供の心理学のクラスや、
幼児教育についての基本的なクラスを取り終わっていますが、
実際に子供と接するのは初めてなので、結構ドキドキでした。
大学から歩いて3分くらいのところにあって、ちゃんとした3階建てくらいの
建物で、オフィスには何人も働いているし、スナックを作ってくれる専用の人
もキッチンで働いていました。広いクラスルームの中で、
クラスルームが見渡せるところに教授の
ガラス張りのオフィスがあります。インファントクラス、トドラークラス、
プレスクール、キンダーガーデンがあります。私がいたのはプレスクール
ですが、みんなで使える大きなプレイグラウンドがありました。
色使いもキレイだし、本当に近代的で、理想の幼稚園の施設という感じでした。
プレスクールには、午前クラスと午後クラスがあって、
広い部屋の中で、テーブルが5つくらいあって、それぞれ年齢別の
スモールグループがありました。 そして、5~7人の子供達に対して、
1人有資格者(学生)の先生が付いて、それに加えて、毎セメスター
学生の実習生がそのスモールグループ1つに付き、3人くらいつきます。
なので、私のいたグループには、子供が7人(中国人、韓国人、メキシコ人2人、
ハンガリー人、アメリカ人)に、メインの先生、メラニー(韓国人)と実習生
(私、エクアドル人、アルゼンチン人)こんな感じでした。
生徒の中には、スペイン語しか分からない子がいたので、他の実習生が
常に通訳してました。
この最初のセメスター(約半年)でやった事は、
水、砂、サイエンス、アート、クッキング、ランゲージアート、
ラージモータースキル、ドラマティックプレイ(おままごと)などなど確か
10種類のアクティビティーを考えて、実際にプラン(このアクティビティーの
目的、これをすることで子供のなにが発達するのか、必要なもの、
プレゼンテーションの順序)全て書きます。
それを実際に生徒にやってみる。担当の指導者の先生が私のやり方を採点
するのです。
それから、最後に一日、リードティーチャーデイ
といって、その日一日の幼稚園全体のプランを考えて、それぞれの先生に
やることを指示して、タイムスケジュールも管理する。という
めちゃくちゃ大変な日がありました。これが、最後のレポートみたいな
ものですが、ちゃんとテーマを決めてやるのです。
私のリードティーチャーデーはこんな感じでした。
テーマは "Japan"。 朝7時のオープンに間に合うように6時半くらいから
スタンバイするのですが、一緒のグループの実習生のミスターホワンが
手伝ってくれました。そして、私のテーマはJapanということを
知っていたので、彼は家から日本の掛け軸を持ってきてくれたというのです。
以前友達にもらったから、今日どこかに飾ろう!というのです・・・。
よく見ると、それは日本のではなく中国のものでしたが・・・・
でも、ミスターホワンに感謝です!その日は私は浴衣を着て、ミスターホワン
には甚平を着てもらいました。そして、
クッキングアクティビティーは手巻き寿司、アートでは習字、千代紙の貼り絵、
折り紙でかざぐるま、サイエンスエリアでは生け花、ラージモーターでは、
紙風船のバレーボール、ドラマティックプレイでは日本料理屋さんごっこ。
などなどやったのですが、クリーンアップの時間とか時間も管理しながら、
やったこの一日はとても充実して一番の思い出となっています。
もちろん、この頃は英語も今よりももっともっと怪しいので、本当に
大変でした。 でも、みんな手巻き寿司とか初めてだったみたいで
とても喜んでいました。 こうやって日本のことを知ってもらえることが
出来て良かったなと思います。
最初のセメスターの幼稚園での思い出はこんな感じでした。
ここの幼稚園で、シェアは教えないことを教わったのでした・・・。
次回は、2番目に働いた教会付属の幼稚園についてお伝えします!
2005-12-02 00:00:00| アメリカの幼児教育 |コメント(5)|トラックバック(0)
唯一のおば様たちのクラスです。 とても、熱心で楽しく教えさせて
頂いているのですが、とてもおしゃべりがお好きで・・・
よく話が脱線してしまい、レッスンに戻してまた脱線してまた戻して・・
ってこんな感じです。
それから次のレッスン場所に向かったのですが、時間が早かったので本屋に寄ってTOEICの1月の申し込み用紙をもらってきました!締め切りが迫ってるので
記入して明日にでも申し込まなきゃ!!! 900点とか取れるのかなあ~。
800点も怪しいんじゃないかな???とにかく冬休みの間ちゃんと勉強しよう。
今日の小学生の低学年のクラス。 うるさいのは一人の男の子で、他の子は
「うるさいから静かにしてよ~」ってちゃんと言ってくれるので、やりやすいといえばやりやすいクラスです。 色々な方のブログ見てたりすると、色んな楽しそうなレッスンプランが紹介されているのですが、私が今教えている教室は、某大手チェーン教室みたいなので、使う本も、教える内容も、全て決められているのです。たまには違うことを取り入れたりしてますが、他のクラスとの兼ね合いもあるので、基本的にはマニュアルに従ったレッスンなので、私的にはちょっと物足りないなあ~。という感じです。
さて、今までのブログにも書いてあるADHD(注意欠陥多動性障害)ですが、このクラスに1人間違いなくADHDの2年生のKくんという男の子がいます。普通に通ってますが、まずいつも、違うところをみていて、やることも人一倍遅いし、字もとても汚くて読むのが大変です。話も全く聞いていないみたいなので、指されてもいつも分からないので、いつも他の生徒から怒られている状態です。ゲームとかは楽しそうにやったりしているのですが、例えて言うのならば、ドラえもんに出てくるのび太くんをもっとぼーっとさせた感じです。今日もちょっとしたテストみたいなのがあったのですが、それすら忘れていたみたいで全然準備してなくて、結果は散々でした。お母さんがお迎えに来たとき� ��、テストの準備がされていなかったことと、授業中ぼーっとしていて話を聞いていないみたいだと言うことをお話しました。そうしたら、お母さんはただただ「すみません」と謝るだけで、テストをもう一度やり直しさせてもらえないかと言って来ました。もちろん答えはNOですが、もしお母さんが自分の子供がADHDだと分かっていたら、きっと私にも「うちの子はこうなので、こういうことがあるかもしれません」とか相談されると思うのですが、そんな感じも全然ありませんでした。学校でも明らかに他の子との違いは明らかなはずだと思うのですが、週1度教えているだけの英会話の講師の立場で、こちらからそこまで立ち入って話をするのもどうかな?と思ったので、それ以上はなにもいいませんでしたが、多分お母さんは自分の� �供がADHDということに気がついていないようでした。
それから、そのクラスの他の生徒でさえ、そのKくんのお母さんに向かって、「Kくんいつもボーっとしてて全然出来ないよ。今日なんて一緒のペアになっちゃったんだけど、全然出来ないからこっちが迷惑してるよ~」などと言っているのです。。。そこまで言わなくても~!!!という感じなのですが、お母さんも気の毒に、その子供に「ごめんね~」などど言っているので、こっちが申し訳なくなってしまいました。小学校の先生とかは、ADHDの子にどんな対応をしたりするのでしょう?
2005-12-01 00:00:00| 障害児教育 |コメント(10)|トラックバック(0)
3歳くらいの子供ってそうなんでしょうか?何かあるごとに"Why?"という。
子供達は私がクラフトの準備などをしていると、必ず
"What are you doing?"と聞いてきます。そして、私が、"~の準備をしているの"というとまた、"Why?"で、また私が"Because~"と理由を説明すると、それに対してまた"Why?"・・・ もう本当にこれ毎日なのです・・・
以前アメリカの大学付属のChild Development Centerで実習していた頃、
レイチェルという4歳になりたての女の子が、トイレに行ったあと、手を洗わなかったので、"Wash your hand"(手を洗いなさい)と言ったら、レイチェルはトイレに行く前に洗ったからもう洗わない!というのでした。私は、「トイレに行ったんだからまた洗わなきゃダメよ」と言ったら、"Why?"というので、"Because トイレに行ったでしょう?トイレに行ったら手を洗うのよ"と言ったら、レイチェルは泣いてしまいました。まだ新米だった私は、どうしたら良いか分からず、近くにいたベテランの先生に助けを求めました。そしたら、その先生は、
「レイチェル!トイレに行ったらあなたの手にはばい菌がいっぱい付いてるのよ。そのばい菌がいっぱい付いた手で口を触ったりしたら、そこからばい菌が体の中に入って、あとですっごくおなかが痛くなっちゃうよ。どうする?」と言ったら、レイチェルは素直に手を洗っていました。
私は、どうして手を洗う必要があるかの理由も言わず、ただ、トイレに行ったから手を洗う。ということしか言わなかったので、レイチェルにはその説明では不十分だったことが分かりました。
それ以来、子供達のWhyWhy攻撃(←私が勝手に命名しました)には、ちゃんと
Because・・・・とちゃんと答えているのですが、何かにつけてWhy?なのです。大変です・・・。
例えばこんな感じです。
A: ○○ちゃんどこにいるの?
Emily: トイレだよ
A: why?
E: Pee-Peeしたいからだよ。
A: why Pee-Peeしたいの?
E: Because 多分いっぱいお水飲んだからじゃない?
A: Why お水いっぱい飲んだの?
E: Because いっぱい遊んだから喉が渇いちゃったんじゃない?
A: Why いっぱい遊んだら喉渇いちゃうの?
これが永遠に続くのです・・・
松本道弘先生が直接指導してくれる松本アカデミアでは、
Why-Becauseゲームというのがあります。
隣の人と、まず最初にトピックを決めてそれに対してWhyとBecauseで
答えると言うロジックを鍛えるゲームをしているのですが、
まさに、私が幼稚園で日常でやっていることなので、非常に役に立っています。
2005-12-01 00:00:00| Preschoolでの出来事 |コメント(1)|トラックバック(1)
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